オシャレとは何か考えてみる
いきなりですが、そもそもオシャレとは何なのでしょうか。
闇雲にオシャレを目指すと息巻くのではなく、「オシャレ」の定義を明確化したいと思います。いちおう理系の大学を出ているので、定義を与える重要性は理解しているつもりです。
というわけでまずは辞書を引いてみます。
お‐しゃれ【▽御×洒▽落】
[名・形動](スル)服装や化粧などを洗練したものにしようと気を配ること。洗練されていること。また、そのさまや、その人。「お洒落な若者」「お洒落な店」
by weblio辞典
オシャレとは「洗練されている(しようとしている)」と同義ということがわかりました。
では、「洗練」とは何か辞書を引いてみましょう。
せん‐れん【洗練/洗×煉/洗錬】
[名](スル)《物を洗い、または練ってよくする意から》
1 詩歌・文章の表現を推敲して、よりよいものにすること。「—を極めた文体」
2 人柄や趣味などを、あかぬけのした優雅・高尚なものにすること。「—された着こなし」
ここで、「あかぬけした優雅・高尚なものにすること」が洗練であるとされています。
ですが、たとえばアメカジや古着ファッションなど、あえて泥臭く野暮ったくしたオシャレの方向性もあるでしょう。
洗練を英語にすると「ソティスフィケート」ですが、そういった服装をした人々をソティスフィケートされているとは呼ばないでしょう。*1
早速、オシャレという言葉の厄介さに直面してしまいました。
例えば、「オシャレな服装」というものをイメージしてください。
オーダメイドで仕立て上げたスーツをイメージする人もいれば、ハイブランドに身を固めた服装、希少なヴィンテージのミリタリー・ワークウェアのイメージが浮かぶ人もいると思います。
そう、オシャレな服装と呼ばれるものには色々な形態があります。
そこで視点を変えてみます。もう一度「オシャレ」の定義を見てみましょう。
服装や化粧などを洗練したものにしようと気を配ること。洗練されていること。
オシャレとは気を配ること、つまり「オシャレになろうとする意思そのものがオシャレなのだ」ということなんです。
おわかりいただけましたでしょうか?
オシャレとは状態ではなく指向性なのです。
オシャレな服装という言葉に想起されるものが多種多様な理由にも納得がいきます。服装がオシャレなのではなく、オシャレになろうとする意思が人々をオシャレにするんです。言ってしまえばオシャレを目指した時点でオシャレなのです。
ひるがえって、このブログのタイトルを見てください。
「32歳からオシャレになりたいブログ」
なんということでしょう。オシャレになろうとしている僕はすでにオシャレになっていたのです。当ブログの目的は達成されました。
Q.E.D。第三部完。先生の次回作にご期待ください。
ですが、この考え方には落とし穴があります。
「気を配る」というのは気を配ろうとしてできるものではないんです。
考えてみてください、「気配りができるひと」になろうと思って、明日から実践できますか? 難しいですよね。
気を配ろうとすることはできても、実際に気を配ることは難しいのではと思います。
オシャレも同じで、結果的に気を配れていなければ単なるオシャレ志望者からは抜け出せないんです。
というわけで、当ブログでは「オシャレ方面に気配りができる」人間を目指すこととします。
その方向性が正しいのかどうか、イマイチよくわかりませんが...。
*1:英語で言い換えた意味はまったくないです。
僕らがオシャレを目指す理由
オシャレとは程遠い生涯を送ってきました。
そんな自分がなぜいまさらオシャレを目指すのか。
僕を知っている人が聞いたら、気でも触れたのかと思われるかもしれません。
そもそもオシャレとは何なのでしょうか。自分にもよくわかりません。よくわかっていないものを目指すといっても、どだい無理な話なのかもしれません。
僕がオシャレを目指す理由
30を過ぎて、鏡に映る自分の姿は完全に「おじさん」になりました。
確かに、芸能人や周りの同年代を見ると、若々しい見た目のひとはいます。
しかし、別に僕は実年齢よりも若く見られたくてオシャレをしたいというわけではないのです。もちろん若く見られることは悪くはないけれど、30代なら30代なりの服装をしたいと思います。
2021年現在、僕は32歳の既婚男性で子どもが1人います。職業はメーカの開発職で、私服通勤ですが職場に着いたら作業着に着替えます。そうなるとまともに着飾る機会がないわけです。周りの人も、誰も僕の服装なんて見ていません。
僕くらいの年齢の既婚男性になると、他人によく見られたいというモチベーションは持たないのではないでしょうか。まあ結婚していてもいつまでもモテたいという人もいるとは思いますが、僕はそうではないです。
子どもが生まれて時間に余裕がなくなり、コロナの影響で外にも出かけないとなれば、身だしなみに気を使う必要すらありません。
そうやって気がつけば、クローゼットの中身は無印良品やユニクロの服が9割を占め、ヒゲも剃らない日が増えてきました。
確かに、無印やユニクロの服はコスパが高くオシャレな人たちのなかでも愛用されています。
ですが、僕の場合はその服が良いと思って着ているのではなく、ただなんとなく、安くて質が良いから選んでいるだけなのです。
最近、自分で気に入っているわけではないものを身に着けたり、周りに囲まれたりしていると、自分自身が鈍化してくるような気がしてならないのです。
同じようなものを身に着けて、同じルートで職場に行って帰るだけの毎日が続くだけです。
反対に、自分が悩んで選んだものを身に着けていると気分が上がるし、生活が楽しくなります。
よくよく考えてみると、独身の頃から僕は服装を選ぶモチベーションは「恥ずかしい格好はしたくないから」という後ろ向きで消極的なものでした。
でも、これからは自分の人生を楽しくするためにオシャレをしても良いかもしれない。
これが、僕がオシャレを目指す理由です。
このブログではオシャレとは何かを考え、自分なりに試行錯誤したり、気に入ったものを紹介したりする記事を書こうと思います。
真にオシャレな人々から見れば鼻で笑われるようなことを書いたりするとは思いますが、暖かく見守っていただければ(もしくはそっとページを閉じて貰えれば)と思います。