32歳からオシャレになりたいブログ

32歳既婚男性がオシャレを目指すブログです。

オシャレとは何か考えてみる

 

 

いきなりですが、そもそもオシャレとは何なのでしょうか。

 

闇雲にオシャレを目指すと息巻くのではなく、「オシャレ」の定義を明確化したいと思います。いちおう理系の大学を出ているので、定義を与える重要性は理解しているつもりです。

というわけでまずは辞書を引いてみます。

 

お‐しゃれ【×落】

[名・形動](スル)服装や化粧などを洗練したものにしようと気を配ること。洗練されていること。また、そのさまや、その人。「お洒落な若者」「お洒落な店」

 

by weblio辞典

 

 オシャレとは「洗練されている(しようとしている)」と同義ということがわかりました。

では、「洗練」とは何か辞書を引いてみましょう。

 

せん‐れん【洗練/洗×煉/洗錬】

[名](スル)《物を洗い、または練ってよくする意から》

1 詩歌・文章の表現を推敲して、よりよいものにすること。「—を極めた文体」

2 人柄や趣味などを、あかぬけのした優雅・高尚なものにすること。「—された着こなし」

 

 

ここで、「あかぬけした優雅・高尚なものにすること」が洗練であるとされています。

ですが、たとえばアメカジや古着ファッションなど、あえて泥臭く野暮ったくしたオシャレの方向性もあるでしょう。

洗練を英語にすると「ソティスフィケート」ですが、そういった服装をした人々をソティスフィケートされているとは呼ばないでしょう。*1

 

早速、オシャレという言葉の厄介さに直面してしまいました。

例えば、「オシャレな服装」というものをイメージしてください。

オーダメイドで仕立て上げたスーツをイメージする人もいれば、ハイブランドに身を固めた服装、希少なヴィンテージのミリタリー・ワークウェアのイメージが浮かぶ人もいると思います。

 

そう、オシャレな服装と呼ばれるものには色々な形態があります。

 そこで視点を変えてみます。もう一度「オシャレ」の定義を見てみましょう。

 

服装や化粧などを洗練したものにしようと気を配ること。洗練されていること。

 

オシャレとは気を配ること、つまり「オシャレになろうとする意思そのものがオシャレなのだ」ということなんです。

 

おわかりいただけましたでしょうか?

 

オシャレとは状態ではなく指向性なのです。

オシャレな服装という言葉に想起されるものが多種多様な理由にも納得がいきます。服装がオシャレなのではなく、オシャレになろうとする意思が人々をオシャレにするんです。言ってしまえばオシャレを目指した時点でオシャレなのです。

 

ひるがえって、このブログのタイトルを見てください。

 

「32歳からオシャレになりたいブログ」

 

なんということでしょう。オシャレになろうとしている僕はすでにオシャレになっていたのです。当ブログの目的は達成されました。

Q.E.D。第三部完。先生の次回作にご期待ください。

 

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意味もなく香港の団地の写真を載せておきます。

 

ですが、この考え方には落とし穴があります。

「気を配る」というのは気を配ろうとしてできるものではないんです。

考えてみてください、「気配りができるひと」になろうと思って、明日から実践できますか? 難しいですよね。

気を配ろうとすることはできても、実際に気を配ることは難しいのではと思います。

オシャレも同じで、結果的に気を配れていなければ単なるオシャレ志望者からは抜け出せないんです。

 

というわけで、当ブログでは「オシャレ方面に気配りができる」人間を目指すこととします。

その方向性が正しいのかどうか、イマイチよくわかりませんが...。

*1:英語で言い換えた意味はまったくないです。